息を大きく吐いて、そして吸って。深呼吸。深呼吸に合わせて体をゆったりと動かす。
ヨガをすると心が穏やかになる。平和になる。
そんな効果をよく聞くので、そうだと思っていたら、そうなるどころか真逆に怒りっぽくなってしまった…。
なぜ?私がおかしいの?やり方が間違っているの?このままヨガを続けていいの?
・・・
先日、「ヨガをはじめてから怒りの感情がでやすくなった、そんなことありましたか?」というご質問をいただきました。
自分の感情に気付きやすくなる
質問をくれた方は、その変化に戸惑っていらっしゃるようだったのですが、それも一つの自然なことなのかな、と思います。
私のことを振り返ってみると、そういうこともありました。少し、こちらの記事の中でもふれていますが、
ヨガの段階の八支則、「ヤマ」の中に「嘘をつかない/正直」というものがあります。
▼ 【ヨガの八支則】シンプル・ミニマムに暮らすためのヨガの教え
ヨガで体だけでなく心へのアプローチも感じ始めて、自分の「感情・気分」に正直になっていくこと。それはよくあること。
ただ、その結果、まわりとの違いが受け入れられなくなって、それが怒りの感情になってしまったり、そういうことはあるのだと思う。
今までなんとなく、見て見ぬふりしていたことが許せなくなってしまったり。それもまた、一つの閉じ込めていた感情が溢れ出してきたということ。
怒りだって悪いものではなく。
私の場合も、健康オタクに偏りすぎて、不摂生な生活をしている家族を許せなくなってしまった時もあります。
▼ 久々にファーストフードを食べて、辞めようと気づいたあること
まだまだ未熟な私は、時々今でもバランスが崩れて、偏りすぎてしまう時があり、それで喧嘩になることもある。
「なんでこんな痛いポーズがあるんだ!」ってヨガのポーズに怒りが湧いたり、できない自分の体にイライラしたこともある。あの人は練習しなくてもできて羨ましいなんていう嫉妬の感情も。
ただ、その「怒り」を感情のままに相手にぶつけてしまってはそれは一つの「暴力」となって、ヤマ・ニヤマの「アヒンサ(非暴力)」に反すること。
見守ってコントロールしていくことがまた次のヨガの練習。これは八支則の段階でいうと、プラティヤハーラ=感覚のコントロール、ダーラナ=集中統一の練習にもなる。
アーサナや瞑想、呼吸法でコントロールできればいいけど、できなかったら、「書き出す」ことも一つの方法かな、と。
感情が湧きだすことは決して悪いことではなくって、すでに自分の中にあったものが溢れ出てきただけのこと。
そもそも「怒り」に流されていて、そのことにすら気づいていなかっただけ、ということもある。
どんな感情だって自分の一部として、受け入れていきたいものなのです。
まだまだ練習はつづきます。たぶんこれで終わり、ってことはないのだとおもうけれど。
そして、今この記事を書いている途中にふと「怒り」について思い出し、「怒り」の感情が湧いてきたことを白状しておきます。
忘れていた「怒り」
そういうこともある。
(2017年4月の記事をリライトしました)