気づくと選ぶことができる。
その感情、思考を続けるの?
やめるの?
単純な無意識的な行動でも、ひとつひとつ意識してみると、必ずその行動の基になる考えがある。
それに気づけば、選ぶことができる。
選べるという自由。
自由意志を持っているのが人間。
だから普段自分が思っていること、考えていること、行動を観察することがそのまま瞑想になる。
そんなことを知らずに暮らしていた頃は、例えば、怒りのスイッチが入ればそのままその感情に流されて相手を傷つけていたり。
怒りの感情が湧く、ということは問題ではない。怒りを手放すとかそういうことでもない。怒りに気づくことがまず大切。
「私は今怒っている」と気づいてる視点にいる時、その感情からは自由な場所にいる。
そのまま「怒り」を相手にぶつけるのではなく、その気づいた視点にいる自分が「怒り」を味わうということは、その感情を消化させるひとつの方法でもある。
こちらもどうぞ:)