年始に今年のテーマのような感じでこのような記事を書きました。
消費と貢献って経済社会だけの話ではなくて、例えば「私はこんなに頑張っているのに報われない」「私ってかわいそう」「私は不幸だ」こんな思いを持つことも、消費の一つだと思います。
それは自分のエネルギーを消費しています。どんどん衰退してしまうし、そういう場合、人からエネルギーを奪うことでもやりくりしているんですね。
随分と長い間、私はそれに気づかずにそうやってやりくりしてきました。
奪うのは自分を「足りない存在」と思うから。
今でも時々、なんとなく心身の不調が続くときによくよく思考を見ると、そういう考えが根本にあることに気づきます。
幼いときは、そうやって大人から優しくしてもらっていたけど、大人になった今もどうやら、体の不調と「私は大変(不幸だ)」という考えをセットにして、人からエネルギーを奪うために利用していたところもあったように思います。
「かわいそうな私」「誰かにかまってもらいたい」
それはもう、奪い奪われ、永遠に続くエネルギー消費社会です。
それを終わらせるには。
自分が自分を認めること。自分にOKを出すこと。
だから、自分ができることって「イライラすること」ではなくて「リラックスする」視点に変えること。
リラックスって、自分にOKが出せていて自由であるとき。
最近私のその方法は、ちょっとこのことを思い出してみること。
今自分の周りにあるすべてのものが、自分のために働いてくれている、動いていくれている。そのことを思い出すこと。
全然、かわいそうなんかじゃないし、十分満たされているし、それに気づけば自由になります。これが親鸞さんが言うところの「他力本願」、ヨガで言うところの「イーシュワラ」なのかしら?と最近思うことも。
なんでもないようなことですが、それを思い出せるようになると、肩の力が抜けてリラックスするし、ちょっとした毎日でもおもしろい。
自分が自由で満たされている時は、人からも奪わないし、奪われない人になる。奪ってる、奪われてる、と気付いた時は、だいたい「足りてない」思考の時。
一緒にいて心地いい人は。
そしてもうひとつは、周りのせいにしないこと。
自分にOKをだすには周りにもOKをだすこと。周りも自由にしてあげること。
一緒にいて心地いいなと思うのは、自分で自由である人、周りにも自由である人。そういう人は、人からもエネルギーを奪わないし、奪われない人。
「心地よく感じる」というのは知らぬ間にエネルギーも与えている余裕もある人。
そういう人でいたいものです。