ふと思い出したのだけど、私は以前「漠然とした不安」に襲われることがよくあった。
何が不安なのかはわからないけど、とにかく漠然とした不安。
それにずいぶんと長く取り憑かれていたように思う。
そしてそれが、気付けばもう何年か、それはいない。
今あたらめて「漠然とした不安」について思いを馳せてみるも、ない。
漠然とした不安に取り憑かれる
なんだったんだろうあの不安は。見えないものに怯えて、幽霊みたいなものだったのかもしれない。
それを感じていた頃の私は、多分ほとんどの時間を「今」にいず、ありもしない「未来」を思い不安になっていたのだと思う。
その「漠然とした不安」から自由になれたのもヨガのひとつの練習のおかげ。
今あることを徹底的に観ていく。
今見えているもの、今聞こえている音、今感じること、今の香り、今味わうこと。
そこにいちいち、自分の価値観をつけない。
今している呼吸に集中する。
その練習がとても役立った。
いつもほとんど気付いていない。
自分がどんな風に呼吸をしているのか、足の裏の触感、風が腕に触れる触感だったり、鳥の鳴いている声だったり。
ただある、ってすごいこと。
それが少しわかるだけで、とても強くなる。
そして、漠然とした不安があるときは、何をしても何を得ても虚しく感じるけど、今は何をしても楽しいと感じるのだから、ずいぶん幸せになったものです。
最近この本を読み終えて、そんなことをつらつらと思っていました。
こんなセリフが心に残りました。
神とは、おそらくこの世界、宇宙の仕組み全体のことです。
だから、この世界の成り立ちそのものを神と呼んで良い。
世界の偉大な古き宗教は、それぞれの文化によってその神の見方が異なっているだけです。
神に祈る。それはだから、全てに対して祈るということです。
神に祈るとは、自分を含めた全てに対して祈ることなのだと。
漠然とした不安、社会に対する不信、そういうものを解決してくれる道しるべとしての宗教だったり、そしてその気持ちが単純に利用されたり。
私は宗教ではなくて、ヨガに出会えてよかったな、と。
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