▼ヨガと暮らしのエッセイ

気付けば無くなっていたもの「漠然とした不安」

ふと思い出したのだけど、私は以前「漠然とした不安」に襲われることがよくあった。

何が不安なのかはわからないけど、とにかく漠然とした不安。

それにずいぶんと長く取り憑かれていたように思う。

そしてそれが、気付けばもう何年か、それはいない。

今あたらめて「漠然とした不安」について思いを馳せてみるも、ない。

雨晴海岸

なんだったんだろうあの不安は。見えないものに怯えて、幽霊みたいなものだったのかもしれない。

それを感じていた頃の私は、多分ほとんどの時間を「今」にいず、ありもしない「未来」を思い不安になっていたのだと思う。

その「漠然とした不安」から自由になれたのもヨガのひとつの練習のおかげ。

今あることを徹底的に観ていく。
今見えているもの、今聞こえている音、今感じること、今の香り、今味わうこと。

そこにいちいち、自分の価値観をつけない。

今している呼吸に集中する。

その練習がとても役立った。

いつもほとんど気付いていない。

自分がどんな風に呼吸をしているのか、足の裏の触感、風が腕に触れる触感だったり、鳥の鳴いている声だったり。

ただある、ってすごいこと。

それが少しわかるだけで、とても強くなる。

そして、漠然とした不安があるときは、何をしても何を得ても虚しく感じるけど、今は何をしても楽しいと感じるのだから、ずいぶん幸せになったものです。

最近この本を読み終えて、そんなことをつらつらと思っていました。

こんなセリフが心に残りました。

神とは、おそらくこの世界、宇宙の仕組み全体のことです。
だから、この世界の成り立ちそのものを神と呼んで良い。
世界の偉大な古き宗教は、それぞれの文化によってその神の見方が異なっているだけです。
神に祈る。それはだから、全てに対して祈るということです。
神に祈るとは、自分を含めた全てに対して祈ることなのだと。

漠然とした不安、社会に対する不信、そういうものを解決してくれる道しるべとしての宗教だったり、そしてその気持ちが単純に利用されたり。

私は宗教ではなくて、ヨガに出会えてよかったな、と。

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