人の幸せや成功を「おめでとう」と言いながら、小さく妬むことがありました。一番ひどかったのは、20代前半の頃に勤めていた会社での販売員時代。華やかな裏でとてもドロドロとしていました。私の暗黒期。
大きな売り上げがたった同僚を「おめでとう!よかったね!」と言いながら、内心は自分の成績が上がらずに焦る。そんな自分が嫌で自己嫌悪になる。
お店の成績が上がるんだからいいと思う反面、個人ノルマがある分どうしても妬んでしまっていたのです。
多分、妬んでいるときこんな顔。(笑)ブラックみう。
妬んで愚痴って自分を守っていた。
「でも、私にはあんな接客は無理」「だって、たまたまついたお客さんがよかっただけ」「彼女は英語もできるし、美人だからお客さんがつく」「どうせ、私は今月も達成できない」そんな思いでいっぱいでした。
そして、売り上げのいい同僚はどんどん成績をあげ、「でも」「だって」「どうせ」を繰り返す私は、卑屈で相変わらず低い成績。
そりゃそうだ、と今ならわかります。
「でも」「だって」「どうせ」に続くネガティブな言葉で自分を守って、言い訳ばかり。仕事もミスばかりで楽しくなくなってくる。ミスをすればまた「だって、でも…」と言い訳ばかりする。もうそんな自分が嫌だったのですが、どうすればいいのかわからずにただただ辞めたくなってくる。
そして最終的には「べつに」と。
「べつに、私はああなりたいわけじゃない」という言葉で締めくくる。
ちょうどその時、ヨガを本格的にやろうとスタジオに通いはじめていました。その時出会った年上の人に色々相談(今思えば愚痴を聞いてもらっていただけですね…)していたのですが、その時に言われた一言。「結局は彼女が羨ましくって、あなたもそれを欲しがっているだけだよね」わりと強く言われたので軽くショックだったのですが、その人ももう私の愚痴にうんざりだったのでしょう。
そう、妬んでケチをつけるようなことをしていたのですが、結局は彼女が羨ましかったんですよね。
アステーヤというヨガの教え
「アステーヤ」というヨガの教えの中にもあります。アステーヤとは「ア」=「しない」「ステーヤ」=「盗む」、つまり「盗まない」という意味。
▼ 【ヨガの八支則】シンプル・ミニマムに暮らすためのヨガの教え。
ヨガでは、所有欲および他人がもっているものを取り上げたいという欲は、人を迷わせ道を外させる危険なものだと説いています。
「盗まない」とは、単に他人の物を奪わないということだけでなく、時間を守ること(人の時間を盗まない)や、人を妬まない、裏切らない、などの意味も含まれています。
“「盗まないことを徹底して身につければ、あらゆる富がやってくる」パタンジャリ・ヨガ・スートラ 第2章第37節”
最初はどういうことだか全然わからなかったのですが、少しづつ理解できてきました。
同僚が仕事を成功させるという出来事が起こります。その物事にたいして、それまでの私は「でも私にはできない」と妬みの思考でストップさせていた。
それを「なぜ彼女はうまくいったの?」「だったら私はどうすればいいの?」と初めて考えてみることにしました。(遅い)
そして気づきました。人が成功した所だけを見ては妬んで、全然仕事していなかった自分。
簡単そうに仕事をやってのけていた彼女ですが、実はものすごく努力して仕事に関する勉強もしてました。それが見えてなくて、私は勝手に妬んでいただけ。
妬むだけ時間の無駄だとわかりましたよね。
そこから私も仕事に対しての向き合い方が変わりました。彼女ほどではないですが、自分なりに工夫して考え、成績も伸びました。自分から買いたいと言って来てくれるお客さんができたことは本当に嬉しかったです。そして、本社からも目をかけてもらえるように。
先日の「魔法使いのシンプルライフ」エリサさんのつぶやき。
「すごい!」と思う人を見て劣等感にさいなまれたときは、「敵じゃなくて味方」と考えてみる。
するととたんに、たまらなく頼もしい気持ちになる。#しあわせハック— エリサ@書籍トランクひとつのモノで暮らす (@erisaslife) 2016年3月1日
ほんと、当時の私に言い聞かせてあげたい。(笑)これまさしく、上のパタンジャリのヨガスートラの言葉のまんまだと思いました。
自分がすごいなーと嫉ましくなるような人は、きっとそれ以上の努力をしている。本人たちは努力とさえ思わずに楽しんでいるだけかもしれないけど。
やってきた富
「盗まないことを徹底して身につければ、あらゆる富がやってくる」
私がその時に妬むことを辞めて、やってきた富。まずは自分自身も仕事に対して前向きになれ、成績も上がったこと。成績が上がるとボーナスに反映されるので、実際にお金という富もやってきました。
そしてもう一つは、職場内でその彼女がいちばんの理解者になってくれたこと。私にはこちらの富の方が大きかったな。
彼女は仕事がとてもできる子だったので、会社での将来を期待されていましたが、あっさりその会社は辞めて、数年後、本場でファッションの勉強をしたい、とパリへ行きました。(今は日本の有名なファッション誌で活躍している様子。さすが!と嬉しくなりました。
ファッションエディターは当時私もまだなりたかった職業だったので、そのまま私が変わらなければ今も妬んでしまっていたかもしれません 笑)
とても良い関係になれた後のことだったので、とても寂しくて残念でしたが、彼女と出会えて起きた出来事を今こうして書いている。そのこと自体が私にとっての一番の富になった気がします。
そして、「妬み」「嫉妬」はやってくる自然な感情。
それを手放すなんて簡単なことではないです。私の中にもまだまだあります。でも、そういう感情があるなーと少し客観的に見るだけで、今までとは違ってくるのではないかな。そうやって、付き合っていきたいと今は思ってます。
「ヨガの教え」にまつわる話。