幼かったころ、不思議でしょうがなかったことがあります。
「私が見えない」ということ。
自分で自分を見ようと思えば、鏡を使ってみることができるけど、鏡がなければ、自分って見ることができない。
自分が見えない不思議
例えば、自分の目から確認できるものは、手足、胴体くらいは確認できる。最後に見えるものは自分の鼻先くらい。そこから上ってどう頑張っても見えない。
その後に必ずやってくる不思議が「え、これ見てるの誰?!私は誰?!」という変な感覚。
それがずっと不思議で、なんとか自分で自分を見たくて逆さになってみたり、超早く目を動かしてみる、みたいなバカなことをやっていたのですが。
どうやっても見えません。
そんなことすっかり忘れて大人になってしまいました。見えない自分を探すよりもやらなきゃならないことがたくさんありましたから。
逆さになったり、目を動かしたりしている暇はなくなったんです。
ですが、実は、それと同じことを私今でもやってる、と気がついて。笑。
毎日毎日、普通に暮らしていたら絶対やらないであろう形になったり、逆さになったりしてる。
そう、ヨガのアーサナの練習。
と、ある日そこで気がついた。
そうか。私は自分を見てみたかったのか、と。ヨガで呼吸を整えていたり、ポーズをしていると、見えなかった自分が見えてくる。不思議なことに。
ある日、自分の顔が見える日がくるかもしれない。笑 鏡で見ていた自分とはずいぶん違うかもしれない。
小さい時から知りたかったことは、何にも変わってなかった。
あの幼い時に「逆さになってみよう」と思ったのはあながち間違いではなかった。目を早く動かすのではないけど、視線をひとつに集中する、という練習もやっぱり今でもやってる。笑。
なぜかちょっと安心した。
そう気づいたら、もうひたすらいろんな形になってみる。笑 幼い頃の自分の気持ちのままヨガをしたらすごく気持ちよくて楽しかった!
私にとって、ヨガが単なるエクササイズで終わらないひとつの理由。
「ヨガコラム」の中から。