ヨガで暮らしと心を整える

呼吸の役割と、その先にあるもの。

「呼吸」

ヨガでは、アーサナの練習をするにも

1に呼吸、2に呼吸

呼吸呼吸、言われます。言われてきました。

なんならほんとに「呼吸してねー」としか言われてこなかった(そんなはずはない、そこしか覚えていないだけ 笑)。

呼吸して見えてきたこと。

呼吸法は、酸素を身体の隅々にまで行き渡らせる役割をしたり、血流を良くしたり、自律神経を整えたり、身体にも心にもものすごくメリットがあることはもうすでに、ヨガをしていなくてもたくさんの人に知られている事実。

私もそれを実感しているからこそ、呼吸は大事!と普段から意識するようにはしています。

ですが、ある日瞑想前の呼吸法をしていたときのこと。

吸う息…吐く息と呼吸に意識を向けていく。

誰が呼吸をしているの?
どこから呼吸が始まっているの?

そんなことが思い浮かんだ時にふと

「呼吸させられている=生かされてる存在」

というものが見えてきました。これはもうヨガを学ぶ前から大学でも親鸞さんに教わってきたこと。

呼吸を通して、酸素や血液が身体に行き渡る。私が酸素や血液を運んでいるわけではない。そんなことできない。生かされている自分が確かにある。

そして、その瞬間と同時に

「生かしている存在」

というものも、生かされてる存在と常に一緒にあるということが見えました。

その瞬間、呼吸しているだけなのに、ものすごくホッとして、安心感に包まれた。

静寂、シャンティ。

生かされてる存在と
生かしている存在が

もともと離れていないということ。
なんだ、いつも一緒だったじゃないか。

ということ。

聖典を学びながらいつも言われていたことが、呼吸を通して見えてきた。

なんなん。呼吸めっちゃ大事やん。

呼吸して瞑想して、そこにイーシュワラを組み上げられたこと。

それがとても嬉しくて。

でも、前にも書いたけど私はまたすぐ忘れます。そして、それは体験であったわけで、完全に理解はしていない話。

だから、味わえたこの体験を、知識として定着できるように。これからもヨーガを学び続けます。

改めてヨガも楽しいし、呼吸も楽しいし、みたいな変な人ですね。