ヨガで暮らしと心を整える

「かわいそう」という言葉の罠。

先日、友達とLINEのやりとりをしていた時。

「子供の湿疹がなかなか治らなくて、小児科連れてってきた」

とのメッセージをみて、「かわいそうに、早く良くなるといいな」

と打ちかけたのですが、

ふと、その子(1歳)自身は湿疹が出てることも、痒いことも、「かわいそう」とは思ってないよなと思って、そう返すのをやめました。

私の中に

湿疹=かゆい=かわいそう=NG

という公式ができあがってた。

私も自分自身の湿疹=かゆい=かわいそう=NGにしてたんですね。

ふと、それに気づいて、「かわいそうな私」を作り上げてたのもやめました。

小さな子たちは、もともと何もNGにしてないのに、「かわいそう」と言われてしまって、「かわいそう」が作られてしまう可能性もあるのかも、と。

かわいそうという言葉。

私もそういえば自分の子供に対して言われて、あまりいい気分になったことがない。(公園でギャン泣きしてる時に通りすがりの人に言われて「はぁ?!」と思ったこともある 笑)

もちろん同情してくれているところから出ているのもわかるし、優しさを汲み上げるためにも必要な感情のひとつ。

でも、「かわいそう」という言葉を浅はかに使ってしまうことには、

ちょっと気をつけたいなと思った。

そして、「かわいそう」と思ったなら、わざわざそれを言葉にして相手に伝えなくても、できることをする方が良いんだろうなと。どうしたら寄り添えるのか考える。

それで、たとえ何もできなくても、祈ることはできる。

写真は、今朝、サンキャッチャー の光が美しくガネーシャを照らしていました。