ヨガで暮らしと心を整える

言葉の抵抗をはなれたとき、楽しめること。

少し前まで「主婦」という言葉や「ブロガー」という言葉に抵抗があった。

できればそう名乗りたくないし呼ばれたくない心があった。

同じようなことで言えば、女だから、女のくせにとか、B型は…だよね、みたいなことを言われるのもすごく違和感があった。

いろんな役割である「わたし」から離れる

でも、実際わたしは女であるし、B型だし、ブログを書き続けているブロガーであり、主婦でもある。

その他にも、獅子座だし、ヨガインストラクターになるときは「先生」なんて呼ばれることもあるし、同時にヨガの生徒でもあるし、娘だし、妻だし、お嫁さんだし、お隣やお向かいの奥さんになるときもある。

元気で嬉しい時もあれば、辛い時も悲しい時もある。

わたしというものを構成してくれている側面がたくさんある。その方が色々と都合が良いから、そういう名前を付けられた役割があるだけであって。

とにかく、いろんなものになるのになんと忙しいことか!

でも、そもそもの「わたし」は「わたし」以外の何物でもないし、その全てを含む「わたし」でもある。

それをありのままのの自分とか言うのかも知れないけど、ひねくれた私はその言葉ですら、何か引っかかる抵抗がある。

だから、わたしがある、それだけ。

そう少し思えた時、なんだかちょっと大きな感覚になって、全て与えられたことを受け取っておけばいいだけのような気がしてきた。

主婦の仕事をするとき、ヨガの先生になるとき、生徒になるとき、ブロガーであるとき、お隣の奥さんであるとき。

それぞれに良いとき悪いときあるけど、その全てをリラックスして楽しんでみること。

言葉にとらわれて、その側面がべっとりと張り付いていたんだと気づいた時、抵抗が少し消えた。べっとりと張り付いていたものはすぐに外せると知った。

多分まだまだたくさんあるのだろうし、これから与えられる役割もあるかもしれない。想像もしなかった役割かもしれないし、それは、わたしの考えの及ばないところからやってくるだろうけど、それもまた楽しみに。

たくさん言葉の意味に囚われているなぁと気づきます。

今、ヨガにも暮らしにも「そのまんまを味わう」を練習中、なかなかこれが難しい。すぐに意味を求めてしまうし、囚われてしまう。難しい、と考えてる時点でまたひとつ囚われていますね。

またそれを忘れた頃に、ジタバタもがくこともあると思う。でも、やることは、楽しむことしかないんですね。

くつろいでいる時ってそういう囚われから自由な気がします。

上の写真は龍馬のお墓からみた京都市内の景色。いろんなとらわれから飛び出した人。

11月15日は旧暦で龍馬の誕生日でもあり、命日でもある日でした。

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