ちょうど2年前の6月、大阪の地震で私は手の骨を骨折しました。
このお方が地震でパニックになったために。
ちょうど蒸し暑くなってくる頃だったのでギプスがついてるだけで鬱陶しい。
左手とはいえ、洗い物や料理もやりにくいし、お風呂も不便。
ようやく治ってギプスが取れた時、普通に手が動くというそのありがたみをものすごく感じたはずなのに。
私がギプスしながら、ぐたぐた文句言っている間に、身体はものすごい自然治癒力使って骨をつないで治してくれたのに。
いまやすっかりその恩恵忘れてますね。
と、そんなことをまた洗い物をしながら思い出しました。
あー普通に洗い物できてるってありがたいんやなーと。
私にとって洗い物は究極のカルマヨガ。
いつもいつも、普通に心臓を動かしてくれていて、忘れてても呼吸してくれていて。
なのにちょっと不調が起きたときだけ、ものすごく不機嫌になって体を責める。
そんな扱いされたら一番嫌なのは私なのに。
でも、忘れていられるというのは、ある意味とても幸せなこと。
だから、いつもいつもただあるのは幸せなんですよね。
そういうことか、とわかれば、何がなくても何があっても幸せ。
そういうことか。