ヨガのクラスの前後にお祈りの言葉を唱えることがある。
祈りなんていうとまた「スピリチュアル」色が強くなったりもしますが、先生への感謝の言葉だったり、今から学ぶことが成功しますように、ということだったり。
マントラと呼ばれるけど、厳密にマントラは唱えるための儀式と資格が必要で、よくクラスなどで使われているのは、それとは別の誰でも唱えられる祈りの言葉であることが多いです。
その中の一つにとても好きな祈りがある。
「この世界の皆全てが、平和で幸せでありますように」という意味の祈りの言葉があり、そのサンスクリットの言葉はとても美しい。
lokah samastah sukhino bhavantu
om santih
その意味を知らなかった頃でも、それを唱えていると、言葉の音自体がとても気持ちよくて癒されたのを覚えている。
お祈りの言葉の意味
そういうお祈りの言葉や意味を私はヨガをはじめてから学んだ。
実際には、口では言っていても、そう思えない時も正直に言えばあるけど、それでもその言葉自体が自分自身の背筋を伸ばしてリラックスさせてくれるような気もする。
ある日、夫の実家に帰った時に、ふと仏間を覗いてみたら。
「今日も皆んなが無事でありがとうございます、〇〇が今日も健康でありますように。〇〇を今日もお守りください。あなかしこ、あなかしこ」
そこにはおばあちゃんが、家族の名前を呟きながらお祈りをしていた。
お経を唱えて、そのあとに、ひとりひとりへの祈りの言葉。たぶん毎日のおばあちゃんの日課。
おばあちゃんを見ていて気づくことがあった。他者へのお祈りの言葉は、自分へのお守りとして返ってきているようにも思う。
お祈りと瞑想は同じで心を静かにたもってくれる。
私の好きなお祈りの一文を唱えるのに、かかる時間は1分もない。でも1日のうちにその1分がある、というのは大きなこと。
「瞑想を続けるのは難しい」と感じるなら1分のお祈りからはじめてみるのも良いかもしれない。それはサンスクリット語でなくても、おばあちゃんのように日本語でも。
ここにあることへの感謝と、自分への祈りと、他者への祈りと。
あなかしこ、あなかしこ。
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