ヨガで暮らしと心を整える

名前を忘れる夢、忘れっぽい私、あるがままを受け入れる。

びっくりする夢を見ました。

なんと、自分の名前を忘れててしまう夢。何かの書類に名前を書くのに、名前が出てこないんですよ。え?わたし誰やっけ?みたいな。

起きたら面白すぎて笑ってしまったのですが。

まぁ、こんな夢を見るくらい、私は忘れっぽいのです。

夫のお弁当に入れるお箸を忘れたり、ゴミを出す日を忘れたり、日常的なことは茶飯事だし、

仕事でもほんとーーーうに何でもメモメモメモ!!!くらい気をつけてないと色んなこと忘れてしまう。(だからミスをたくさんして、たくさん怒られてきた)

ヨーガの聖典で学んでいることも、すぐに忘れてしまう。(だから、ブログ続けているようなもの)

ずっと、その「忘れっぽいこと」は私の中で、「良くないこと」であり、直さなければと思っていたし、でもなかなか直らないし、忘れるたびに「あぁまたやってしまった」と必要以上に落ち込む。

ありのままアレルギーだったこと。

でも、「忘れっぽいこと」は私のひとつの単なる個性でもあるわけです。

嫌なことも寝れば大抵忘れるという、良いところもある。

そしてそもそも、人間は忘れる生き物でもある。生まれてきた理由も、生きている理由も全部そもそも忘れている。(ソウルフルワールド見てなるほどと思った)

とくに聖典を学び出してから思うのは、大事なことも辛いこともあったことも全て覚えていたら、

大変ですよ。緩む暇もない。

そして、忘れるからこそ、またその都度大事なこと思い出すし、楽しめる。

ミスもして、また怒られたり悲しんだり落ち込んだりもするかもしれないけど、それも全部全部味わう。

そうやって生きていることを五感を使って、楽しむため。

私はそうやって、この「忘れっぽい私」も否定せずに受け入れることにしました。ここにもOKスタンプ押したわけですね。

もちろんこれは「忘れっぽいんやからしゃーないやん!」と投げやりになったり、逆ギレしたりすることとは違います。

「忘れっぽい私」も一旦大事にしたあとで、忘れて誰かに迷惑かけたりしたことは反省するけど、自分をそれ以上責めることはしない。じゃあどうする?どう気をつける?

という感じ。

それでもまた色々忘れちゃうんですけど、一旦自分を受け入れてみた後、

周りの反応がとても優しくて驚いています。忘れて、そのことを一番責めていたのは自分だった。

ヨガでもう10年くらいずーーーっと耳タコくらいに言われていた「あるがままの自分を受け入れる」の意味がようやく腑に落ちてきた感じ。

なんならずっと「ありのままアレルギー」だったかもしれない。笑