先日の記事にたくさんのコメントや直接のメールを頂き、本当にありがとうございました。とても励まされました。一つ一つにお返事させていただきたいのですが、もう少し時間をいただければと思います。
そして、今日はまた少し私情になります。書いて公開するかどうか、また迷ったのですが、書くことが自分の心を見て落ち着いていられる私の今の方法なので、書くことにします。
母が亡くなったこと。
先日の記事から数日後に、母が亡くなりました。
3月末に余命1年と宣告され、わずか1ヶ月もたたないうちに逝ってしまいました。私の引っ越しも待たずに…。
この数日は目まぐるしく過ぎ去り、ようやく、少しパソコンの前に座って文章を書いてみようかという気持ちに。この数日はパソコンを開いても、手続き的なことを事務的に調べるばかりでした。
なんせ、家のことや事務的なことなどはすべて母がやってくれていたので、何にもわからないことだらけだったので…。
家族葬と言う形に。
母の望みで「家族葬」という形で、家族と本当に仲の良かった方々で小さくお通夜、お葬式を行いました。お坊さんも母も私も知っている方にお願いし、葬儀会社もとても良いところに恵まれました。
無駄な飾りは避け、母が大好きだったお花をたくさん飾りました。病室では生花を飾れなかったので、花だけは豪華に、明るく可愛いお花をたくさん使ってもらいました。
結果、小さいながらもあたたかく母を見送れたのではないかと思います。こういう形ではありますが、また良いご縁に恵まれたことにとても感謝しています。
母の病について
少しだけ病のことを説明すると、もともとは低悪性度の血液のがん(悪性リンパ腫)だけれど、治療すればまた普段の生活に戻れると聞いていたので、そこまで深刻には考えていませんでした。
ところが、抗がん剤が母の体質に合わなかったのか、高熱と下痢が続くこととなり、余命を宣告されたときには別の病も発症していました。
余命を宣告された時点で、夫婦で実家の近くへ帰る決意をして、東京と京都をいったりきたりしていましたが、またお医者様から「もう1ヶ月も持つかどうか…」と宣告され、その時会った母の状態を見るに、もう長くはないかもしれない、と覚悟はしました。
亡くなる数日前から、母の意識はだんだんと朦朧としていき、我慢強く私に弱音を吐いたことがない母が「痛い…もう嫌や…」と苦しそうに言うようになりました。でも「痛いの?大丈夫?」と聞くと「痛くない」とまた言い直すので、最後まで周りのことばかり気遣う母でした。
母の前では決して泣くまいと決めていましたが、痛がる母の姿を見るのは本当に辛かった。その後モルヒネで緩和治療に入り、亡くなる2日前には意識はほぼなくなり眠ったようになりました。なんにもできない自分が本当に悔しく、ただ手を握ることしかできませんでした。
そして、朝日を浴びる時間に母は静かに息を引き取りました。最後は私が一緒にいれたこと、穏やかな表情であったことが幸いでした。
書くという癒しと力。
今はただ起こった出来事をまとめる能力もなく、ただただ書いていくことしかできないのですが、本当に書くという行為は一つの癒しになりますね。
母はずっと自分の思いを日記に書いていました。二十歳くらいの頃から、病室で意識がなくなるまで。もともと習字を習っていたので字はとても綺麗なのですが、最後に病室で書いた字は、最後の力を振り絞って書いたのが伝わり、どれだけ闘病生活が辛かったかのかも伺えました。
何もできなかったことを悔やみました。少しでも辛いと言ってくれれば良かったのに、とも…。
そのノートには遺言的な家族へのメッセージも書かれていましたが、私は、意識がある時に母と交わした最後のLINEも今心の支えになっています。
最後は電話を取るのも、喋るのも、スマホで文字をうつのも辛そうだったので、それもかなりの力を振り絞って送ってくれたのだと思います。
でもやっぱりスマホの文字だけを見ると、そういう辛さは伝わりません。絵文字なんかも付いてたりすると「あ、今調子いいのかな?」と思ってしまったり。
自筆でかいた文字というのは、そこに書かれた言葉以上のものを伝える力があると感じます。
「家に帰りたい」と書いていた母。今ようやくゆっくり家に帰ってきました。不思議とうちの猫もずっと祭壇のそばにいます。いつも夜は誰かのベットの上にくるのですが、母が帰ってきた日はずっと祭壇のとなりの部屋のソファで一匹で寝ていました。(一応祭壇にイタズラされたら困るので、部屋の扉を閉めて寝ました。)
もしかしたら母が帰ってきたことが、あの仔にもわかっていて、一緒に寝ていたのかもしれません。
これからのこと。
私もどんな形であれ、母の近くにいると安心します。祭壇のある部屋にいることが今は多いです。これも母のそばで書いています。
最後の一ヶ月、母のそばで一緒にいることが本当に幸せでした。たわいもない話をして、笑って、調子が良ければ足のマッサージをしてあげて。何をするでもなく、どこかへ行くのでもなく、ただ一緒にいることが本当に幸せだと感じました。意識がなくなって、病院に泊まっていた日も、母のそばにいるだけで幸せだと感じました。
今はまだ悲しみがたくさん襲ってきて、涙もたくさんでます。でも、母から教えてもらったこと、受け継いでいることは私の中でずっとずっと生きています。
お母さんありがとう。もうすぐ、母の日。
長々と書いてしまいましたが、もし最後まで読んでくださった方がいればありがとうございます。また、徐々に日常のことも書いていきます。母もきっと「あなたの生活を大切にしなさいね」と言ってくれていると思います。