今朝ニュースで「メルカリで読書感想文が売買されている」というのを見た。
子供本人が買うのかと思っていたら、どうやら、その宿題を手伝う暇のない親が買うらしい。
「宿題に追われる子供」という夏の風物詩が現代化したのか。
思い返せば、私はこの「読書感想文」や「日記」の宿題がとても好きだった。
高校生ではそれは小論文となり、大学生の頃は講義のレポートや卒論。そして今でもヨガの勉強会などでレポートを書いたりもする。
これらの「宿題」を私はあまり苦に思ったことがなく、むしろ宿題がなくても書いていたし、楽しんでいた。
どれも、わりと好き勝手に書いていたし、どの先生もある程度認めてくれていたから、単純に嬉しくて好きだったというのもあるのだろうけど。
私のブログ術
ブログ術、なんて書いてしまうとまた怒られそうだけど、「なんでブログ続けられるの?」「毎日書いて大変じゃない?」
という問いにたいしての私の一つの答えは、これなんだなーと。
夏休みの宿題の日記や読書感想文が好きだったから。
何か見たことや体験したこと感じたこと、これが自分の中に一旦入る。そこから、ペンや今ではパソコンのキーボードだけど、それを通して出てくる。
その感覚が小学生のころから好きなんだろうし、私には、そういう作業を通していろんな物事を消化しているところもある。
だから、今でもブログを書くことは好きなことなので、「続けるの大変でしょう」と言われるけれど、そんなに大変だと感じることはないのです。
むしろ今、ブログは「暮らしのレポート」として好きな宿題をやっているような気分でもある。
そして、そのレポートを誰かが読んでいてくれる、というのも続けられるモチベーションです。コメントやメールもいつも嬉しく受け取っています。
学校の宿題は、先生しかみてくれないけど、この広いインターネットの宇宙の中。
どこかのだれかに、何かのタイミングでたまたま記事が引っかかって、万が一、最後まで読んでくれるなんて、それはなんてすごいことなんだろうと思います。
小学生のころはトラウマもあったけど、素敵な宿題ができる、大人になってよかったなーと思う。
もしかすると、夏休みの「読書感想文」や「日記」が幸いしてのこのブログ。逆に、計算したり、物事をもう少し論理的に考える力が欲しいと思う今日この頃。
肝心の算数の宿題は…
先に答えを見てやったりしてましたから、今まさに反省してます。