とにかく走ることが大嫌いでした。
青信号がぴこぴこ点滅していたら、走らずに待つタイプ。その距離を走るのも嫌…。
そして、特に長距離はさらに苦手。小・中学生の頃のマラソン大会はもう苦痛でしかないし、だから、マラソン大会がないということを少し頭に置いて高校選びをしたのも事実です。
おかげで高校生からは走ることとは無縁の生活に。マラソン大会がないってなんて天国なんだ!と。走ることは向いていない。
だから、フルマラソンなんて無縁だと思っていたし、一生やることなんかない、やりたくもない。そう思っていました。
旅行のついでにマラソン大会に。
ですが、私の友人たちで、毎年沖縄だったり石垣島だったり、なぜか南国でマラソンに参加しているグループがありました。
毎年誘ってはくれるのですが、走りたくない私は、毎年不参加。なんで沖縄までいってわざわざ走るのかさえわからず…。
走らずに沖縄旅行だけなら行くのにって(笑)
ですが、そんな彼らが帰ってきた土産話をきいていると、めちゃくちゃ楽しそうなんですね。
みんな「走ってよかった!!」って言う。帰ってきて消耗しているかと思いきやキラキラしている。走ってない私の方がなんだかおかしいみたいに言う。笑。
そんな姿を見たり、話を聞いていたら、私も「え?そんなに楽しいの?だったら今年は走ってみようかな」と。まあ、場所が石垣島ということもあったので、半分は旅行目的です。
3ヶ月でフルマラソンにチャレンジ
それが10月のエントリーの時期。大会は翌年の1月末だったので、実質3ヶ月で体を仕上げていくことになりました。
信号すら走るのが嫌だった私が。3ヶ月で、フルマラソンに挑戦。
その頃はヨガ(アシュタンガ)をしていたおかげもあると思います。筋力や持久力は全くないわけではなかったので、以前の私に比べれば、だいぶ体の状態は良い。ただ気の持ちよう「走るのしんどい、嫌い、合わない」。
これが大きな荷物になっていました。
ですが、彼らと練習を始めたこと、当時仕事をしていたヨガスタジオに、まさしく修造タイプのランの先生がいたこと。彼らが「走ること」についてめちゃくちゃ熱く語って教えてくれた。笑。
そのおかげもあって、私のお荷物は徐々に軽くなっていきました。「走るのしんどい」から「走るの楽しいかも!」に変わり、10キロまでようやく走れるように。
彼らが、「意識」を変えてくれた。
そう、10キロしか走ったことないのに、フルマラソンは無謀なチャレンジだったかと今では思います。
30キロを超えてからはもう走るっていうものじゃなくって、ただ一歩ずつ足を前に出すことだけ。辛くて辛くて、リタイヤしたい…って何度も思いました。
そして、ほんとに制限時間ギリギリでなんとか42.195キロを完走できたけど、その後の体はボロボロになってしまいました。
ですが、やってみてよかった。これは本当。
ゴールした時の感覚は、なんとも言えない嬉しさだったり、やっと終わった安心だったり、とにかくいろんな感情が混じって初めての体験でした。
そして、もちろん旅行も兼ねていたので、次の日はボロボロになった生まれたての子鹿状態で石垣島と竹富島を観光。
水牛車にも乗りました。なんとかなるものですね。ちなみにこれはギリギリ20代最後だったと思います。20代最後の思い出作りもあったのかも。
何事もやってみなきゃわからない。
「合わない・嫌い」というのは一つの大事な感覚。だけど、やってみなきゃわからないっていうのも一つの大きな感覚。
そして、それをやっている人が楽しそうで生き生きしているってものすごく伝わる影響力なんだなって思いました。
大嫌いだったことをやってみようと思わせてくれた彼ら。そして意識ってすごい、とも。
まずはとにかくやってみる。
ヨガも1回やってみたけど合わないっていう話、結構聞きます。ヨガ推しな私は残念だなって思うけど、もちろん人それぞれなのですが、
「気になる…けど、合わない」
そんな感覚がある時ってもしかしたら、また合うタイミングが来るのかもしれないですよね。
私もランニングは「嫌い・合わない」と思っていたけど、そうは言いつつも自分の周りで盛り上がっていて、ちょっと気になる存在だったわけですよ。
そういう時は、頭であれこれ考えずにちょっとやってみる、っていうのも新しい何かと出会えるチャンスなのかもしれませんね。
私は「フルマラソン走った私」に出会えて良かったです。もうフルマラソンはやらないと思いますが…。笑
そして、ブログで文章を書くことも私にとってはそう。気になってはいたけど、なかなかちゃんと続けることができなかった。それが今のタイミングで続けられるようになった。
今私が気になっていることのいくつか。近いうちにやってみよって思いました。