ヨガで暮らしと心を整える

丁寧な暮らしのおすそ分け、から考えたこと。

「丁寧な暮らし」が主婦を苦しめる、のような記事をちらっと見かけましたが、私は完全に「丁寧な暮らしのおすそ分けをいただく暮らし」だな…と。

夫の実家から送られてくる荷物の中には、夫の両親や祖父母が作ってくれたものがたくさん詰まっています。

今回はこちら。

ゆず

夫の父が作っている柚子、そして母が作ってくれた柚子ジャム。

しばらくは柚子湯三昧!

柚子ジャム

その他にもたくさん、季節それぞれに自家製の野菜や、手作りの梅干し、梅シロップなども送ってくれます。

というわけで、私はいつもそのおすそ分けを楽しませてもらっている。

このような「丁寧な暮らし」はたぶん夫の祖母や母にとっては普通の生活のことで、そんな意識もないと思うのですが、ただただありがたいこと。

そもそも何をどれだけやったら「丁寧」なんだと思うけど、私にとっての「丁寧な暮らし」の基本は、やっぱりあくまでこれ。

ヨガだけは体の中の何かが「やりたい」という欲求を起こすのですが、その他の部分は「適当な暮らし」をモットーに。ちょっと手作り楽しみたいと思うときもあれば、揚げ物なんかはうちは完全アウトソーシングなので買ったものを楽しむ。

今年は花をたくさん飾ろう、と思っていたけれど、猫が家族に加わったのでそれも一旦手放し。本当に自分はなんて適当なんだと思う。

いろんな「すべき」にとらわれなくていいんだと思う。

でももし、「丁寧な暮らし」に対してそんな風に苦しんでしまうなら、多分その多くはSNSでやってくると思うのですが、そっと画面を閉じるなり、フォローを外すなりするのも一つの方法。

それは「丁寧な暮らし」だけでないんですよね。美味しそうなものを食べてる人を見れば「飯テロ」となり、キラキラした女性には僻むし、楽しそうに仲間が集まっている写真を見れば「あれ私呼ばれてない?」となる。笑。

どんな場合であれ、自分が自分にOKを出していなければ、まわりの暮らしは羨ましく見えてしまう。

自分に自由に。

ただ、「丁寧」のさじ加減は人それぞれだと思うけど、ヨガは少しそれを助けてくれるのもある。無理にそうしようと思わなくとも、暮らしは少しづつ自分に正直になっていくと感じます。