ヨガで暮らしと心を整える

シンプルすぎて見失ってしまうもの。

あの事件から20年たつという。東京の地下鉄で起きた事件。

▼ 「アンダーグラウンド」「約束された場所で」を読んで思い出したこと

そしてその団体から派生した団体が、また今活動を活発にしているという。

あの事件をしらない若い人たちが、参加しているという。「今」の団体の映像が流れていたけど、昔に見た映像と同じようなことが行なわれているような印象を受けた。

今も窓口が「ヨーガ教室」なんだとか… あぁ。

あのあのその、で片付けてしまって申し訳ないですが。

悟りを求めて?解脱を求めて?

ヨガをしていても「サマディ」や「モークシャ」という言葉と出会うことがある。

いろんな解釈をされて、それを「目指し」「信じ」られている言葉かもしれない。

それは、頭の上から光が降り注いだ!神秘的な体験!

みたいな感覚でもなく…

多分、驚くくらいシンプルなこと。理解すること。

もっともっとと頭で要求され続けて、いつのまにか、物理的な「もの」以外で得られる幸せというものも「より大きく!」を求めているのかもしれない。

▼ ムヒカさんのシンプルな幸福論、一旦止まってから見えてくるもの。

そうなると、つい自分と重なっていて、いつもいつも一緒にいる大事なものを見失ってしまう。多分それがシンプルすぎて。

その一番シンプルなつながりに、気づかせてくれるきっかけになるもの。

「呼吸」

行為さえとてもシンプルで美しいもの。

自分をくつろがせるものは、どこかへ修行へ行かなくても、すでにあるんですね。

あの事件に関しての本。

こちらもどうぞ。